犬のしつけとは?なぜ必要なのか?ドッグトレーナーが解説

しつけ方教室やセミナーなどで飼い主さんとお話をしていると「うちのコ、しつけがなってなくって。お手もできないのよ」という方がいらっしゃいます。「しつけが大事」ということはおそらく皆さん異論はないと思いますが、「そもそもしつけとは何か?」の部分は意見が分かれる、もしくは、あまりイメージができないというのが正直なところではないでしょうか?今回はその「そもそも」に僕なりに迫ってみようと思います。

「訓練」と「しつけ」言葉の定義を見てみると…

はじめに、犬のしつけにおいてよく使われる言葉、「訓練」について考えてみます。訓練とは「所定の動作を体得する」ことをいいます。例えば、「伏せ」を例にとると、「地面に腹部をつける動作」であり、「腹部をつける」という基準があります。これは万国共通です。つまり、訓練はやることが決まっていて、明確な基準により「客観的に評価」されるといえます。一定の基準のもとに審査される訓練競技会などは、まさにこれに当たります。地面に腹部をつける、伏せをしている黒い犬

次に、わかっているようでわかっていない「しつけ」を辞書で調べてみると、「礼儀作法をその人の身につくように教え込むこと。また、その礼儀作法」とあります。ちなみに、「礼儀」とは「人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式」とされています。

「しつけ」は社会によって変わるもの

つまり、「しつけ」による秩序の維持の仕方は様々あり、動作は問われていません。ですから、社会生活の場が異なれば求められるマナーも変わり、とるべき礼儀作法(行動)も変わります。例えば、「食べる」行為を例に考えてみると、日本では箸を使って食べることが礼儀ですが、インドでは右手を使って食べることが礼儀です(箸を使って食べる練習をすることは訓練)。

しかし、場所は日本でも、フランス料理であればナイフとフォークを使う必要があります。つまり、礼儀作法の表現や求められる動作も異なり、TPOに合わせることが必要になるわけです。これを犬に置き換えてみると、家庭や一般社会、さらには都心や郊外など場所が異なれば「しつけ」も異なる可能性があるといえます。

人の食事を足元で静かに待つ犬

例えば、人の食事中に犬に求められるマナーは、「騒がず邪魔をしないこと」だと思いますが、ある家庭では足元で伏せて待っている行動を求めるかもしれませんが、別の家庭では、足元で待っていなくても、ガムを噛んで静かにしていれば構わないといった具合に、飼い主の「主観的な評価」が判断基準になります。つまり、「しつけ」はそれぞれ家庭にあった方法があって然るべきなのです。

ですから、決まった動作の習得という「訓練」と、マナーを守るという「しつけ」は似て非なるもの、明確に区別する必要があります。もちろん、動作を習得することが無駄なのではなく、TPOに合わせた表現をすることが「しつけ」には求められるのです。ですから、場所や文化がそもそも異なる海外の例を日本にそのまま取り入れるには注意が必要です。

「しつけ」は主観的な評価

また、「しつけ」は当の本人(飼い主)が礼儀を守ることも重要ですが、周囲の人が評価することもあります。公の場での社会秩序を守ることがこれにあたり、その評価は一定の基準があるわけではなく、あくまでその人の感じ方による「主観的な評価」です。周囲の人に配慮するような時には、私的な場(家庭内など)とは異なる表現方法をとる必要があります。例えば、公の場で人に迷惑をかけないように「吠えない」とか、「人に飛びつかない」などのマナーがそれに当たります。

立ち上がり飼い主に手をかけるパグ

ただし、僕はここでも動作を「〇〇しなければならない」と限定する必要はないと考えています。例えば、カフェやレストランなどで、吠えずに静かにするために「飼い主を見つめながらじっと伏せて待たなければならない」とする必要はなく、通行の邪魔になったり、周囲に驚異を与えたりしなければ、極端な話、寝ていても構わないと思っています。

どうもここが ”犬はこうあるべき“という昔からの慣習(行動)が色濃く残され、本来の目的(守るべきマナー)が軽視されている様に感じます。本当に重要なことは、主観的であるからこそ既存の方法のみにとらわれず、飼い主自身が、求められるマナーについてしっかりと考え実行することが「しつけ」として必要になるわけです。訓練して「お座り」や「伏せ」ができるようになったから問題ないという考えは、そろそろ変えていかなければならないのではないでしょうか?

犬は人間社会の秩序を考えることはできない

そして、「しつけ」において人と犬が決定的に違うことは、犬自身が周りの状況を判断し、その場(人間社会)にあった振る舞いを選択すること、つまり、倫理観を持って理性的な判断をすることは難しいということです。これは脳の構造を見ても明らかです。また、そもそもの犬の本能が人間社会における礼儀作法とは相反する場合もあります。

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草むらの上で排泄を我慢できる犬

例えばトイレのしつけを例にとってみると、求められる礼儀作法は「所定の場所で排泄すること」ですが、犬は本能的に匂いのついた場所や、柔らかい素材(草むらやタオルなど)の上で排泄する傾向にあります。したがって、他の犬が排泄した場所の匂いを嗅がせ続けたり、バスマットなどふかふかした素材の上に乗れば排泄してしまうかもしれませんし、我慢の限界が来ればどんなにトイレトレーニングをした犬でも、人間にとってふさわしくない場所で排泄してしまうでしょう。

つまり、「しつけ」をしたとしても、学習よりも犬の本能が色濃く反映される行動もあるのです。犬をしつけたことと、自分でその場にあった対処をすることは別なのです。

遊び方を教えることだって「しつけ」

犬が人間社会で暮らしていれば、上記のトイレのしつけのように、多かれ少なかれ本能に抗う(あらがう)ことが求められます。ただ、持って生まれた本能を全て我慢させることはストレスになりますし、福祉的にも良いはずがありません。ですから、人間社会において、周りに迷惑をかけずに「本能を満たす」方法を身に着けさせることも「しつけ」だと思います。

草むらの上で自由に走り回る2匹の犬

例えば、もともと狩りをしていた動物ですから、小型犬といえどそれなりに運動を欲しています(もちろん個性もありますが)。自由に走らせたり、他の犬と遊ばせることができれば良いかもしれませんが、全ての人が叶えられるわけではありませんし、世の中には犬が嫌いな方がいることも忘れてはいけません。

したがって、限られたスペースで遊ぶことで欲求を満たして運動不足を解消することが、時には必要になります(自由に運動するスペースがないなら犬を飼うな、というのは僕からすると工夫がなさすぎて好きではありません。犬はもっと柔軟で賢い生き物です)。

犬の人生に自信をつけていくノーズワーク

ですから、時には遊び方の嗜好性をコントロールし、限られた広さで遊ぶ、例えば引っ張りっこをすることを楽しめるように育てることも、しつけと言えます。また、匂いを嗅ぐことが好きな動物だからこそ、きちんと本能的な欲求と向き合いコントロールすることで周囲に配慮し、ノーズワークとして本能を満たすなど、工夫することが必要です。

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「しつけ」に終わりはない!

「しつけ」は年齢を考慮することも必要です。人間でも年齢に応じたマナーを求められますが、例えば、子犬期は他の犬との社会性を持たせるためにパピークラス(子犬専用のしつけ教室)などで他の犬と挨拶したり、遊ぶ機会を設けることがあります。

2頭並んで座って見上げるビーグル犬と柴犬

しかし、ゴールは他の犬と楽しく遊ぶことではなく、他の犬がいたとしても気にしないでいられることです(もちろん飼い主同士の了承があれば遊ばせていいと思います)。他の犬との遊びは、社会性を持たせるためであり、遊びが目的ではありません。あくまで、犬がいたとしてもTPOにあわせて大人しくしていられるための通過点です。つまり、年齢に応じたしつけや飼い主の配慮が必要なわけです。

ここまで書いてきたように、「しつけ」は厳しい訓練を課し、決められた行動を犬に強要することではありません。人間の主観的な評価を考慮した上で、犬に秩序を守ってもらうことです(秩序を守る上で訓練によって身につけた動作が大いに役立つこともあります)。つまり、飼い主一人ひとりが、「人間社会の秩序を守るために、社会の中で犬の本能を満たすような行動の表現方法を犬に伝え続けていく事こと」が「しつけ」の本質であるといえます。

三井翔平

ドッグトレーナー(スタディ・ドッグ・スクール所属)、学術博士、国際資格 CPDT-KA(Certified Professional Dog Trainer - Knowledge Assessed) 麻布大学大学院獣医学研究科博士後期課程にて犬と人のコミュニケーションに関する研究を行い博士号を取得。その後 ドッグリゾートWoof 専属チーフドッグトレーナーを務め、日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」のダメ犬・デブ犬克服大作戦をはじめとしたTV番組にも出演。現在はスタディ・ドッグ・スクールを拠…

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