今回は犬のしつけに関して寄せられる、今さら聞きづらいことや、よくあるちょっとした質問にお答えしていきたいと思います。
犬が年をとったら、しつけはできない?
よく、定年退職後に猛勉強し、難関大学に合格した人のことがニュースになることがありますが、実はそこにヒントが隠されています。年をとることによって学ぶスピードは遅くなるかもしれませんが、生き物は生きている限り学習可能です。
しかし、一度身につけた(学習した)習慣を変えることはそれなりに時間がかかります。いつでも学習できるからと野放しにしないで、問題だと感じたその時から改善することが早くしつけができる近道です。
子犬の甘噛みを放ってくと、本気噛みになる?
甘噛みは専門的にいうと「遊戯性攻撃行動」といい、遊びが高じての攻撃行動です。あくまで、遊びの延長なので、恐怖や不安から生じる攻撃行動や、物や場所を守ろうとする攻撃行動など、生きていくために必要な資源を守る攻撃行動とは明確に区別されます。
したがって、子犬の甘噛みを放っておいたからといって、将来嫌なことがあれば強く噛んで、人や動物に深刻な怪我を追わせるような、いわゆる本気噛みには繋がりませんので安心してください。
ただし、特に小型犬の子犬期の歯は針のように鋭いため、噛まれて出血することがあります。また、成長するに従い噛む力が強くなることで、飼い主が許容できなくなる(犬は今まで通りの甘噛みのつもりだが、人がそう感じられない)ことが多いため、おもちゃなど噛んでいいものと人の手や服などを明確に区別できるよう、遊びのルールを教えていかなければなりません。
散歩の時間はどれぐらい?
「この犬種は何分歩けばいいの?」などと聞かれますが、多くの場合「お散歩」=「運動」という幻想に囚われていることから生じるのだと思います。例えば、「早足で歩く散歩」と、「犬のペースで匂いをかぎながらの散歩」、「ご近所の犬仲間との談笑を含んだ散歩」では運動量は全く異なります。つまり、時間や距離で決めること自体がナンセンスです。
ただし、犬は仮に野生下で暮らしていれば、餌を求めて何時間も動き回り、時には獲物を狩るため全力で走り回る生き物です。人と一緒に歩調に合わせてただ歩くだけでは、体力的な満足感を得ることは難しいと考えるほうが妥当です。ではドッグランで好きなだけ他の犬と走らせればいいかというとこれまた違います。このようなケースでは、他の犬を見ると興奮して飼い主の言うことを全く聞けないといった問題が生じやすくなります。
また、散歩をしない生活をしている犬が体調不良で病院に行くとなった場合、ただでさえ体調が悪いのに、外出が怖くて余計にストレスを感じるといったことになりかねません。
つまり、犬種やサイズで決めるのではなく、「量」もさることながら、外の環境が好きになったり、苦手な状況が克服できるような良い経験を積む「質」が大事で、メリハリのある社会性をもたせ、それを維持していく時間が必要ということです。
他の犬と仲良くできない
他のワンちゃんと仲良く走っている、遊んでいる姿を見たいというのは、飼い主さんにとってごく自然な要望だと思います。しかし、「すべての犬と仲良く」というのは大変難しいことです。皆さんも、この人とは話が合わないとか、気が合わないという経験があると思います。その人と「仲良くしろ!」と無理強いされたら嫌な気持ちになりますよね。
また、人に社交的で話好きな人、1人で黙々と趣味に没頭することが好きな人など様々なタイプの人がいるように、犬にも個性があります。相手を選んだり、周りに犬がいても誰とも遊ばなかったりということは当たり前のことなのです。
犬の仲にはホルモンが関係することもあります。未去勢の大人のオス犬にとって他のオス犬は繁殖のライバルで、自分の遺伝子を残す上で障害となるため、争うという行為は至極まっとうなことです(ただし、吠えたり、喧嘩をしていいといっているわけではありません)。
ですから、自分や相手の犬の個性を無視して仲良くすることを強いるのではなく、犬の気持ちを読み取ったり、相性を見分けることが飼い主として大事なことなのです。
犬同士のもめごとは人が介入しないほうがいい?
上記と似たようなお悩みですが、もう一頭新しく犬を迎える方や、ドッグランデビューを考えている方からよく質問を受けます。
生き物ですから、複数いれば時にはもめごとや行き違いが起こって当然です。しかし、相手が嫌がっていたり、既に降参しているにも関わらず(たとえばしっぽを巻く、飼い主の後ろに隠れる、お腹を出す、震えるなど)しつこく乱暴なアプローチを繰り返すようであれば、話は別です。
このような状態は相手の感情が読み取れていない、言ってみれば犬語がわからない状態なので、人が中断させたり、距離をとらせるなどの対処をすべきでしょう。もちろん、放っておいて解決する程度の些細なことであればいいですが、人が介入することによって「それはやってはいけない」ということを伝えていく必要があります。