皆さんはファシリティドッグをご存知でしょうか?ファシリティドッグとは、医療施設や特別支援学級、裁判所など、特定の施設に常勤し、対象者の精神的サポートを仕事とする犬たちのこと。各現場の状況に詳しい専門職にある人、またはその知識のある人がハンドラーを務めるのが特徴の一つで、日本では2010年より小児医療専門病院にて導入されています。そのファシリティドッグの現状と、これまでの経緯も含めたお話を、ハンドラーの森田優子さんにお聞きしました。
森田優子さん
ファシリティドッグ・ハンドラー&看護師。小児や周産期医療などに特化した国立成育医療研究センターにて5年ほど看護師として勤務。もっと違った形で経験を活かしたいと考えていた折にファシリティドッグと出会い、2009年、タイラー基金(現NPO法人シャイン・オン・キッズ)所属のハンドラーに転身。静岡県立こども病院での勤務を経て、現在は神奈川県立こども医療センターにて、ベイリー&アニー、2頭のファシリティドッグとともに活躍中。
日本のファシリティドッグ誕生には二つの出会いが
ファシリティドッグを小児医療病院に派遣しているシャイン・オン!キッズは、理事長ご夫妻のご子息タイラー君が、白血病により1歳11ヶ月という短い生涯を閉じたことがきっかけとなって設立されたNPO法人です。
「日本の医療は最先端ながら、患者であるこどもや家族のサポートが乏しい」、そう感じた理事長ご夫妻が日本の医療環境を変えようと活動する中、ハワイで偶然目にしたのがファシリティドッグ。ぜひ日本にも導入をと思ったものの、国内での育成は難しく、実績のあるハワイのトレーニングセンターAssistance Dogs of Hawaii(ADH)から犬を連れて来ることになり、それが日本のファシリティドッグ第1号となったベイリー、そしてヨギでした(共にゴールデン・レトリーバーのオス、ヨギは静岡県立こども病院で活躍中)。
ハンドラーとして抜擢された森田さんは、以前の職場で入院中のこどものお母さんから、「ここは牢獄みたいですね」と言われたことが心に残り、なんとかできないものかと考えていた時期でもあったことから、「これが私のやりたかったことだ!」と転職を決意したそうです。
「ノー」は使わない、ポジティブ・レインフォースメントでトレーニング
ベイリーはオーストラリア生まれのハワイ育ち。介助犬も多く輩出しているブリーダー宅で生を受け、先祖を50代前まで遡れる血筋だとか。ADHでは子犬の頃から度々病院を訪問し、その環境に馴染むトレーニングを重ねます。
「日本では、まずそのような環境づくりは難しいでしょう。その他、電車やバス、ショッピングモール、飛行機など、人が出入りする場所には幼い頃から慣れさせるのですが、病院の場合は、ICUにも入ったりします。ADHの中では、犬たちはケージに入ることもなく、自由に過ごしていますし、周囲には森があって、広いドッグランになっており、それこそのびのびと過ごしています」
ハワイでの実践的トレーニング時代を振り返り、そう語る森田さんですが、実は動物好きではあるものの、犬と暮らすのは初めてだとか。
「それが逆によかったと、担当のトレーナーさんに言われました。妙に自己流のやり方や知識があると、それを一旦ゼロにしてからやり直さないとならないので」
「ベイリーの必要性は、健康な人にはわからないんだよ…」
森田さんがハワイで初めて対面した時、ベイリーは1歳11ヶ月。
「他の犬たちと動きが違って、何をするにもゆっくりで、ゆったりした犬だなぁという印象でした。でも、現地で初めて病院での実地トレーニングをした時には、私のほうが緊張してしまい、それがベイリーにもシンクロして、まるで言うことを聞いてくれなくなり、大失敗でした。トレーナーさんからは、気持ちがシンクロするからと口うるさいほど言われていたのに。その日は本気で泣きましたよ」
森田さんはそう言って苦笑しますが、その苦い体験があったからこそ、帰国後に静岡のこども病院で活動を開始した時には、それほどの緊張もなく、ベイリーとの良い関係が結べるようになっていました。
しかし、当初は日本初ということもあり、“お試し”での活動で、病院に行けるのは週に限られた日だけ。それを本来の常勤型にステップアップさせるきっかけとなったのは、入院中の二人のこどもでした。
「ベイリーが来る日を、毎日にしてください」
そう病院長に直談判したのです。そのうちの一人の子がぼそっと言った言葉を、森田さんは忘れられないといいます。
「ベイリーの必要性は、健康な人にはわからないんだよ…」
後編では、ベイリーの活動の様子をご紹介します。
写真提供/シャイン・オン!キッズ
関連サイト/認定非営利活動法人シャイン・オン・キッズ
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